
『 もう野球をしたくなかった。
すべてのものに打ち砕かれた。
高校のときは1年から試合に出て、自信もそれなりにあった。それが、プロに入ったらすべてのことについていけない。
余裕を失って、ガマンができなくなった。
2月の半ばにもならない頃、鹿児島の実家に電話した。電話に出たのは、お父ちゃんだった。
もう、辞める。
ムリだから。
どうせ1年でクビになる。
おれ、辞めるわ。
光が見えないんだ。
そのとき、お父ちゃんが何を言ったのか、何も覚えていない。
ただ、すぐにお母ちゃんが飛んできた。鹿児島から高知まで、すぐに来てくれた。
ホテルで話をした。
もういい、ムリだと言った。
で、こう言っちゃった。
死にたいよ。 』
川﨑宗則著 『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』
(2014)文藝春秋より







すべてのものに打ち砕かれた。
高校のときは1年から試合に出て、自信もそれなりにあった。それが、プロに入ったらすべてのことについていけない。
余裕を失って、ガマンができなくなった。
2月の半ばにもならない頃、鹿児島の実家に電話した。電話に出たのは、お父ちゃんだった。
もう、辞める。
ムリだから。
どうせ1年でクビになる。
おれ、辞めるわ。
光が見えないんだ。
そのとき、お父ちゃんが何を言ったのか、何も覚えていない。
ただ、すぐにお母ちゃんが飛んできた。鹿児島から高知まで、すぐに来てくれた。
ホテルで話をした。
もういい、ムリだと言った。
で、こう言っちゃった。
死にたいよ。 』
川﨑宗則著 『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』
(2014)文藝春秋より







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『 二流が一流に追いつくには、たがいに苦しいときに、そこから一歩、二歩でなく、三歩も四歩も捨て身で飛び込むしかない。』
三浦雄一郎著『 人生はいつも「今」から』(2006)KKロングセラーズより。
前回の記事の最後の画像と同じ状態。

タミヤエナメルのフラットホワイトを使用し、タイヤのハイライト、垂直前面装甲の下部、(砲身の影になって見えませんが)防盾左側の上部などを白っぽくしています。

油彩のマーズイエローにてサビ色を入れました。

タミヤエナメルのブルーとフラットホワイトを混ぜて、明るい水色を作り、スポット的に色を入れています。
防盾最前部の下端、防盾右上部、垂直前面装甲の下部ならびにボルト類の上、砲身の下半分よりやや上、ホイールの一部などです。

三浦雄一郎著『 人生はいつも「今」から』(2006)KKロングセラーズより。
前回の記事の最後の画像と同じ状態。

タミヤエナメルのフラットホワイトを使用し、タイヤのハイライト、垂直前面装甲の下部、(砲身の影になって見えませんが)防盾左側の上部などを白っぽくしています。

油彩のマーズイエローにてサビ色を入れました。

タミヤエナメルのブルーとフラットホワイトを混ぜて、明るい水色を作り、スポット的に色を入れています。
防盾最前部の下端、防盾右上部、垂直前面装甲の下部ならびにボルト類の上、砲身の下半分よりやや上、ホイールの一部などです。



ローラ・ドイル著 中山庸子訳
『サレンダード・ワイフ賢い女は男を立てる』(2002 三笠書房)のなかには、妻が夫に言う小言の数々がたくさん載っています。
『「彼ったら理不尽なのよ。
今にもひっくり返りそうな椅子にのって、片足を新しいキッチンテーブルの上にのせてバランスをとろうとしていたの。
それもふたりですばらしい色に仕上げたばかりのテーブルよ。
なんでガレージから踏み台を持ってこないのって、私言ったのよ。
彼のほうがずぼらで、新しいテーブルを台なしにしそうになったのに、どうして私が彼を侮辱したといってあやまらなければいけないの?」』
(中略)
『彼に子供をあずけて外出するのが怖いという女性もいる。
彼女たちは子供にちゃんとした食事を与えたり、時間どおりに寝かしつけ、宿題をきちんとやらせたりすることが彼にできるはずがないと思っているからだ。
また、夫は楽しい夜の計画を立てる才能がないとか、車を買うときの交渉もうまくできないと思い込んでいる人もいる。』
(中略)
『家を一歩出たときには、夫がどこへ行こうとしているのかわかっていて、一番いい道順を彼に教えていた。
レストランでは車を止める場所を決め、テーブルにつけばついたで、それとなくほのめかしておいたものを彼が注文してくれるかどうか、不安のあまり身もだえするほどだった。
その夜のサービスにはうんざりさせられた。
食べ物はなかなか出てこないし、ウエイトレスには無視された。
あまりにも長い時間待たされたので、私は支配人に抗議して食事代をただにさせるべきだと夫に言った。』
(中略)
『エイミーは、彼女が彼の行動をコントロールしなければならないのには、必ず理由があるのだと言う。
夫が赤身の肉を食べ過ぎないようにするのは、そのほうが健康によいからだ。
町へ行くときに決まった道を通るようにするのは、そのほうが早いし、渋滞もないからだ。
彼女のやり方に従ってカーテンをつけるのは、そのほうが効果的だからだ。』
(中略)
『床屋がその男性の髪を一生懸命にカットしているすぐそばに奥さんが立って、言いたいことを言っている。
「後ろは切りすぎないようにして」、「てっぺんの毛が突っ立ったりしないように気をつけてよ」という調子である。』
(中略)
『クリーニング屋に行ってくれると言ったのに、行かなかった。
車が汚い。
留守番電話に切り替えるのを忘れて、ファックスにしたままにした。』
(中略)
『「新しいスーツがほしいの。今あるのは古くなっちゃったし、最後に自分のために何か新しいものを買ったのは三年前よ。
それに先月はクーポン券を使って四十ドルも節約したわ」』
(中略)
『この家は本当に狭くて頭がおかしくなりそうよ。
新しい家がほしいわ。
こんなごちゃごちゃしたところに住むのはうんざり」』
(中略)
『「ティファニーのショーウインドーにあったネックレスを買ってくれるわよね」』
(中略)
『「子供たちを連れて今晩はピザを食べに行けないかしら?」』
(中略)
『「赤ん坊を寝かせてくれたって、どうせまたパジャマを後ろ前に着せているに決まっているわ」
「あなたは仕事で疲れているんだから、赤ん坊は私が寝かすわ」
「映画に行くなんて、贅沢よ」
「あなたが選んだ映画って、私、たいてい気に入らないのよね」
「ひとつしかない椅子に座ったら礼儀知らずと思われる。私も立っているわ」
「PTAのうるさいおばさんの隣には座りたくないから、椅子はいらないわ」』
(中略)
『自分では決して買わないものをくれた場合、私たちはまず拒絶し、夫は結局自分のことは何もわかってくれていないとつい批判してしまう。
コリンは、レイにクリスマスにもらったゴージャスなハンドバッグはとても感謝しているけれど、入れたいものが全部入らないからといって、すぐにもっと実用的なバッグと交換してもらった。
(中略)
不幸なことに、ロビンは夫のポールから結婚記念日に指輪の複製を贈られたが、ばっさりと切り捨ててしまった。
なんと彼は彼女があこがれていたものとは違う指輪の複製を作ってしまったのだ。
しかも、彼女が嫌いな指輪の。』
(中略)
『私たちは悲観的な言葉をしましば口にするものだ。
たとえば、「もう少しゆっくり走ってもいいんじゃない?(そうしないと、車をぶつけるわよ)」
「皿洗い機に入れる前に、さっとゆすがないといけないのよ(どうせやらないでしょうけど)」
「水道屋さんを呼べばいいんじゃないの?(どうせ自分では直せないんだから)」
「私だったら、部長にあんなこと言われたら一分だってがまんできないわ(どうせ自分で反論しないんでしょ)」
夫にしてみれば、「あなたにはどうせできない」と言われているも同然である。』
(中略)
『彼の弾き語りを聞くのは大好きだったが、それだけでは毎日の食事にさえ事欠いてしまう。
彼は今の生活に満足していたが、家の修繕になると急に怠け者になるように思えた。
夫がやることといったら、女である私の感覚にそぐわないものばかりだったので、私は粗捜しばかりするようになった。
家計をまかせても、まったく系統だったプランを立てることができないので、私は愕然とした。
家の中の何かがこわれたら、ひどくならないうちにこまめに直したり、家をきれいに飾ったりしてほしいと思ったが、彼のやり方はまったく違った。』

妻からのこれらの言葉で、
男であるわれわれは、敬意を払われず、受け入れられず、信頼されず、期待されず、感謝されず、自信が得られず、がんばれず、勇気がそがれる。
やすらぎと回復を求める家庭で、日々、エネルギーが消耗する。
ありのままを受け入れてくれると思った女性と結婚したはずの男たちが辿る末路である。
『Let It Go~ありのままで』は強い自己肯定の歌です。
日本語の歌詞は、原文以上にすばらしく、日々を消耗する男にも感動を呼ぶのでした。
『Let It Go~ありのままで』
75ミリ対戦車砲の塗装は、つづきをどうぞ。
『サレンダード・ワイフ賢い女は男を立てる』(2002 三笠書房)のなかには、妻が夫に言う小言の数々がたくさん載っています。
『「彼ったら理不尽なのよ。
今にもひっくり返りそうな椅子にのって、片足を新しいキッチンテーブルの上にのせてバランスをとろうとしていたの。
それもふたりですばらしい色に仕上げたばかりのテーブルよ。
なんでガレージから踏み台を持ってこないのって、私言ったのよ。
彼のほうがずぼらで、新しいテーブルを台なしにしそうになったのに、どうして私が彼を侮辱したといってあやまらなければいけないの?」』
(中略)
『彼に子供をあずけて外出するのが怖いという女性もいる。
彼女たちは子供にちゃんとした食事を与えたり、時間どおりに寝かしつけ、宿題をきちんとやらせたりすることが彼にできるはずがないと思っているからだ。
また、夫は楽しい夜の計画を立てる才能がないとか、車を買うときの交渉もうまくできないと思い込んでいる人もいる。』
(中略)
『家を一歩出たときには、夫がどこへ行こうとしているのかわかっていて、一番いい道順を彼に教えていた。
レストランでは車を止める場所を決め、テーブルにつけばついたで、それとなくほのめかしておいたものを彼が注文してくれるかどうか、不安のあまり身もだえするほどだった。
その夜のサービスにはうんざりさせられた。
食べ物はなかなか出てこないし、ウエイトレスには無視された。
あまりにも長い時間待たされたので、私は支配人に抗議して食事代をただにさせるべきだと夫に言った。』
(中略)
『エイミーは、彼女が彼の行動をコントロールしなければならないのには、必ず理由があるのだと言う。
夫が赤身の肉を食べ過ぎないようにするのは、そのほうが健康によいからだ。
町へ行くときに決まった道を通るようにするのは、そのほうが早いし、渋滞もないからだ。
彼女のやり方に従ってカーテンをつけるのは、そのほうが効果的だからだ。』
(中略)
『床屋がその男性の髪を一生懸命にカットしているすぐそばに奥さんが立って、言いたいことを言っている。
「後ろは切りすぎないようにして」、「てっぺんの毛が突っ立ったりしないように気をつけてよ」という調子である。』
(中略)
『クリーニング屋に行ってくれると言ったのに、行かなかった。
車が汚い。
留守番電話に切り替えるのを忘れて、ファックスにしたままにした。』
(中略)
『「新しいスーツがほしいの。今あるのは古くなっちゃったし、最後に自分のために何か新しいものを買ったのは三年前よ。
それに先月はクーポン券を使って四十ドルも節約したわ」』
(中略)
『この家は本当に狭くて頭がおかしくなりそうよ。
新しい家がほしいわ。
こんなごちゃごちゃしたところに住むのはうんざり」』
(中略)
『「ティファニーのショーウインドーにあったネックレスを買ってくれるわよね」』
(中略)
『「子供たちを連れて今晩はピザを食べに行けないかしら?」』
(中略)
『「赤ん坊を寝かせてくれたって、どうせまたパジャマを後ろ前に着せているに決まっているわ」
「あなたは仕事で疲れているんだから、赤ん坊は私が寝かすわ」
「映画に行くなんて、贅沢よ」
「あなたが選んだ映画って、私、たいてい気に入らないのよね」
「ひとつしかない椅子に座ったら礼儀知らずと思われる。私も立っているわ」
「PTAのうるさいおばさんの隣には座りたくないから、椅子はいらないわ」』
(中略)
『自分では決して買わないものをくれた場合、私たちはまず拒絶し、夫は結局自分のことは何もわかってくれていないとつい批判してしまう。
コリンは、レイにクリスマスにもらったゴージャスなハンドバッグはとても感謝しているけれど、入れたいものが全部入らないからといって、すぐにもっと実用的なバッグと交換してもらった。
(中略)
不幸なことに、ロビンは夫のポールから結婚記念日に指輪の複製を贈られたが、ばっさりと切り捨ててしまった。
なんと彼は彼女があこがれていたものとは違う指輪の複製を作ってしまったのだ。
しかも、彼女が嫌いな指輪の。』
(中略)
『私たちは悲観的な言葉をしましば口にするものだ。
たとえば、「もう少しゆっくり走ってもいいんじゃない?(そうしないと、車をぶつけるわよ)」
「皿洗い機に入れる前に、さっとゆすがないといけないのよ(どうせやらないでしょうけど)」
「水道屋さんを呼べばいいんじゃないの?(どうせ自分では直せないんだから)」
「私だったら、部長にあんなこと言われたら一分だってがまんできないわ(どうせ自分で反論しないんでしょ)」
夫にしてみれば、「あなたにはどうせできない」と言われているも同然である。』
(中略)
『彼の弾き語りを聞くのは大好きだったが、それだけでは毎日の食事にさえ事欠いてしまう。
彼は今の生活に満足していたが、家の修繕になると急に怠け者になるように思えた。
夫がやることといったら、女である私の感覚にそぐわないものばかりだったので、私は粗捜しばかりするようになった。
家計をまかせても、まったく系統だったプランを立てることができないので、私は愕然とした。
家の中の何かがこわれたら、ひどくならないうちにこまめに直したり、家をきれいに飾ったりしてほしいと思ったが、彼のやり方はまったく違った。』

妻からのこれらの言葉で、
男であるわれわれは、敬意を払われず、受け入れられず、信頼されず、期待されず、感謝されず、自信が得られず、がんばれず、勇気がそがれる。
やすらぎと回復を求める家庭で、日々、エネルギーが消耗する。
ありのままを受け入れてくれると思った女性と結婚したはずの男たちが辿る末路である。
『Let It Go~ありのままで』は強い自己肯定の歌です。
日本語の歌詞は、原文以上にすばらしく、日々を消耗する男にも感動を呼ぶのでした。
『Let It Go~ありのままで』
75ミリ対戦車砲の塗装は、つづきをどうぞ。
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リハビリを兼ねて、タミヤの古い75ミリ砲を組んでみました。
現代の水準からすればテーパーなどがひどくて、
パーティングラインなのか部品の形状なのか判断に苦しむようなパーツもあります。
そのなつかしさを覚える部品形状を手にして夢中で組み立てていると、
少年のころの記憶が呼び覚まされてきました。
「やっぱりドイツの兵器はかっこいいなー」
なんて思いながら組み立てていたのです。

そうなのです。
プラモデルとして組み立てていると、
ドイツの兵器の形状は「かっこいい!」と素直に思えるデザインでした。
それにしても出自は兵器です。
どんなにカッコ良くとも人殺しの道具であることは明白です。
深く考えることのなかった子どもの頃ならまだしも、
大人になった現在においても、
まだなお兵器のプラモデルを嬉々として作っている因果。
これをどのように説明すれば、人は納得するのでしょうか。
椹木野衣(さわらぎ・のい)さんの『反アート入門』(2010幻冬舎刊)のなかで、参考になりそうな意見を発見しました。
そこには以下のように述べられています。
『 肝心なのは、当時それがどんな動機で作られていようとも、芸術としての後世の価値判断にはあまりたいした影響がないということなのです。
それどころか、暴力や姦通、殺人に関与した芸術家の作品であったとしても、今日にあってはすばらしいとされているものは少なくありません。
(中略)
あるいは、美術史で他に類するもののないとされている作家の作品が、生前に罪を犯したとか、人格的に問題があったという理由でその評価を剥奪され、収蔵から投擲されるなどということは、とうていありえないことです。
(中略)
つまり芸術の世界では、世で「悪」と呼ばれている事態を、歴史的(事後的)には許容してきたのです。もちろん、このことと「悪」を推奨することとは大きなちがいがあり、それははっきりと区別されなければなりません。
(中略)
そうではなくて、かりに、その作家がなんらかの社会悪に手を染めていることがわかって、そのことで結果的に断罪されたとしても、作品の価値までもがまったく同様に貶められることはない、ということなのです。
(中略)
これに関して、芸術が悪を推奨するものではないというのと同じくらい強調しておかなければならないことがあります。それは、「芸術は善悪の彼岸にあり、そうした社会的規範には左右されない」というわけではない、という点です。反対に、芸術は作者の背後にある善悪の如何にきわめて大きな源泉をもっています。けれども、それはやはり源泉であり、作品という結果そのものではないのです。しかし、源泉がなくなってしまったら、結果もまた、生まれてきはしません。この意味で、目の前の世界について善悪の判断は芸術の故郷であり、その故郷がたまたま「悪」であることもありうる、それが「芸術は悪を許容する」という言辞の、ほんとうの意味なのです。
』

現代の水準からすればテーパーなどがひどくて、
パーティングラインなのか部品の形状なのか判断に苦しむようなパーツもあります。
そのなつかしさを覚える部品形状を手にして夢中で組み立てていると、
少年のころの記憶が呼び覚まされてきました。
「やっぱりドイツの兵器はかっこいいなー」
なんて思いながら組み立てていたのです。

そうなのです。
プラモデルとして組み立てていると、
ドイツの兵器の形状は「かっこいい!」と素直に思えるデザインでした。
それにしても出自は兵器です。
どんなにカッコ良くとも人殺しの道具であることは明白です。
深く考えることのなかった子どもの頃ならまだしも、
大人になった現在においても、
まだなお兵器のプラモデルを嬉々として作っている因果。
これをどのように説明すれば、人は納得するのでしょうか。
椹木野衣(さわらぎ・のい)さんの『反アート入門』(2010幻冬舎刊)のなかで、参考になりそうな意見を発見しました。
そこには以下のように述べられています。
『 肝心なのは、当時それがどんな動機で作られていようとも、芸術としての後世の価値判断にはあまりたいした影響がないということなのです。
それどころか、暴力や姦通、殺人に関与した芸術家の作品であったとしても、今日にあってはすばらしいとされているものは少なくありません。
(中略)
あるいは、美術史で他に類するもののないとされている作家の作品が、生前に罪を犯したとか、人格的に問題があったという理由でその評価を剥奪され、収蔵から投擲されるなどということは、とうていありえないことです。
(中略)
つまり芸術の世界では、世で「悪」と呼ばれている事態を、歴史的(事後的)には許容してきたのです。もちろん、このことと「悪」を推奨することとは大きなちがいがあり、それははっきりと区別されなければなりません。
(中略)
そうではなくて、かりに、その作家がなんらかの社会悪に手を染めていることがわかって、そのことで結果的に断罪されたとしても、作品の価値までもがまったく同様に貶められることはない、ということなのです。
(中略)
これに関して、芸術が悪を推奨するものではないというのと同じくらい強調しておかなければならないことがあります。それは、「芸術は善悪の彼岸にあり、そうした社会的規範には左右されない」というわけではない、という点です。反対に、芸術は作者の背後にある善悪の如何にきわめて大きな源泉をもっています。けれども、それはやはり源泉であり、作品という結果そのものではないのです。しかし、源泉がなくなってしまったら、結果もまた、生まれてきはしません。この意味で、目の前の世界について善悪の判断は芸術の故郷であり、その故郷がたまたま「悪」であることもありうる、それが「芸術は悪を許容する」という言辞の、ほんとうの意味なのです。
』


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