
ジェームズ・ガーニー著『カラー&ライト リアリズムのための色彩と光の描き方』(株式会社ボーンデジタル)という本を購入しました。

過去の浮世絵、現代のアニメ画に象徴されるように、日本人の志向する絵というのはどこまで行っても「線画」プラス塗り絵という感覚であるように思います。
しかも、アニメ画の巨大な瞳に象徴されるように抽象性が高い。
とことんリアリズムを追求する姿勢よりも、ほどほどのリアリティに抽象性を加味したような表現を好むように思います。
一方で西洋は、大昔から二次元の中に三次元を再現することに心血を注いできました。
写実主義的なアプローチは長い間の伝統でした。
現代では実写と見分けがつかないほどの再現性を追求したコンピュータグラフィックスに徹底したリアリズムの現れを感じるのです(日本のCGはまだ二流だと思う)。
模型の世界でも、こうした背景で育ってきてなんらかの素養をもつ西洋人のモデラーは多いでしょう。
その人たちを相手に、美術のびの字も知らず特別な訓練も受けてきていない素人のわたしが同等以上にすばらしい作品をまぐれでなく生み出すことが出来るでしょうか?
と、思うので勉強しております。
P.15では19世紀アカデミズムの巨匠たちの作品としてジャン=レオン・ジェローム(フランス、1824〜1904年)の作品が紹介されています。
四号駆逐戦車の「木漏れ日モジュレーション」で失敗した光のスポット表現がうまく表現されていますね。

ラングなどに適用した「スカイブルーモジュレーション(青空変調)」の理論的裏付けも書かれていました。

本書によれば、陽光の下での光源は3つあるそうです。
「太陽」(直接光源)
「青空」(太陽を光源とする拡散光)
「周囲の物体」(太陽光の反射光)
うすうすそうだろうとは思っていましたが、はっきりと書いてあると認識が強化されます。
青空からの光は「スカイライト」と呼ぶらしいです。
右側の人物画では、黄色いシャツの肩口に色をのせてあります。
その色は、ブルーではなく「緑がかった色」というのに驚き(つまり黄色の影響を受けたブルーということでしょう)、また、のべつまくなしにブルーを上面にのせるのではないということに感心しました。
帽子にはブルーを置かないんですね。

過去の浮世絵、現代のアニメ画に象徴されるように、日本人の志向する絵というのはどこまで行っても「線画」プラス塗り絵という感覚であるように思います。
しかも、アニメ画の巨大な瞳に象徴されるように抽象性が高い。
とことんリアリズムを追求する姿勢よりも、ほどほどのリアリティに抽象性を加味したような表現を好むように思います。
一方で西洋は、大昔から二次元の中に三次元を再現することに心血を注いできました。
写実主義的なアプローチは長い間の伝統でした。
現代では実写と見分けがつかないほどの再現性を追求したコンピュータグラフィックスに徹底したリアリズムの現れを感じるのです(日本のCGはまだ二流だと思う)。
模型の世界でも、こうした背景で育ってきてなんらかの素養をもつ西洋人のモデラーは多いでしょう。
その人たちを相手に、美術のびの字も知らず特別な訓練も受けてきていない素人のわたしが同等以上にすばらしい作品をまぐれでなく生み出すことが出来るでしょうか?
と、思うので勉強しております。
P.15では19世紀アカデミズムの巨匠たちの作品としてジャン=レオン・ジェローム(フランス、1824〜1904年)の作品が紹介されています。
四号駆逐戦車の「木漏れ日モジュレーション」で失敗した光のスポット表現がうまく表現されていますね。

ラングなどに適用した「スカイブルーモジュレーション(青空変調)」の理論的裏付けも書かれていました。

本書によれば、陽光の下での光源は3つあるそうです。
「太陽」(直接光源)
「青空」(太陽を光源とする拡散光)
「周囲の物体」(太陽光の反射光)
うすうすそうだろうとは思っていましたが、はっきりと書いてあると認識が強化されます。
青空からの光は「スカイライト」と呼ぶらしいです。
右側の人物画では、黄色いシャツの肩口に色をのせてあります。
その色は、ブルーではなく「緑がかった色」というのに驚き(つまり黄色の影響を受けたブルーということでしょう)、また、のべつまくなしにブルーを上面にのせるのではないということに感心しました。
帽子にはブルーを置かないんですね。
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ウエザリングを強化し
その後、全体にエナメルのクリアを塗り、
グロス仕上げにしてみました。

『愛知県、名古屋歩兵第六連隊補充隊。
昭和十五年四月〜七月。
いちばんひどいいびりが「犬」ですよ。
内地の中隊の制度というのは、兵舎の一階に一、二、三班、二階に四、五、六班と六つの内務班があるんです。
新兵がなんかへまやるでしょう。
たとえば班長の洗濯を忘れたとする。
さんざんなぐられて、「この野郎、てめえは犬だ。各班まわって挨拶して来い」といわれると、四つんばいでまず一班に行くわけです。
で、「ワンワン、ワンワン」と犬のまねをする。
向こうが声をかけてくれるまで「ワンワン」としかいっちゃいけないんですよ。
その班にいる上等兵以下古兵どもは知ってるくせにタバコ吸って知らん顔してるんです。
仕様がない、上等兵古兵のそばへ行って顔みいみい、「ワン、ワンワン」っていうんです。
そのうちに、「うるせえ犬だな。なんだ」ときかれる。
「班長の洗濯を怠けたので叱られました、ワン」というと「悪い野郎だ、さぼるんじゃねえぞ」って頭をピシャンとやられる。
で、次の班まではしって行くんですよ。
これはね、もう二つめの班へ行く頃にはたいてい涙こぼしてますよ、口惜しくてね。
回答者・佐橋憲次(東京都在住)』
『現代民話考 II 』松谷みよ子 立風書房(1985)より
その後、全体にエナメルのクリアを塗り、
グロス仕上げにしてみました。

『愛知県、名古屋歩兵第六連隊補充隊。
昭和十五年四月〜七月。
いちばんひどいいびりが「犬」ですよ。
内地の中隊の制度というのは、兵舎の一階に一、二、三班、二階に四、五、六班と六つの内務班があるんです。
新兵がなんかへまやるでしょう。
たとえば班長の洗濯を忘れたとする。
さんざんなぐられて、「この野郎、てめえは犬だ。各班まわって挨拶して来い」といわれると、四つんばいでまず一班に行くわけです。
で、「ワンワン、ワンワン」と犬のまねをする。
向こうが声をかけてくれるまで「ワンワン」としかいっちゃいけないんですよ。
その班にいる上等兵以下古兵どもは知ってるくせにタバコ吸って知らん顔してるんです。
仕様がない、上等兵古兵のそばへ行って顔みいみい、「ワン、ワンワン」っていうんです。
そのうちに、「うるせえ犬だな。なんだ」ときかれる。
「班長の洗濯を怠けたので叱られました、ワン」というと「悪い野郎だ、さぼるんじゃねえぞ」って頭をピシャンとやられる。
で、次の班まではしって行くんですよ。
これはね、もう二つめの班へ行く頃にはたいてい涙こぼしてますよ、口惜しくてね。
回答者・佐橋憲次(東京都在住)』
『現代民話考 II 』松谷みよ子 立風書房(1985)より


日本においてはリアリズムは軽視されているように感じます。
多くの人にとって肖像画を描く機会は、ほとんど学生時代に限られますが、小学生のときには子どもらしい勢いのある絵が評価され、自由に描かせることが主眼で、写真のように正確に写し取る訓練はなされなかった(すくなくともわたしは)と思います。
中学、高校でも、デッサンには正確性が要求されますが、ペインティングにおいてはリアリティある描き方の教えはなかったように思います。
そうやって大きくなった大人が、ここにきて突然、1/35フィギュアをリアリティある人間のように塗ることが出来るでしょうか?
どう考えても、それはむずかしいですよね。
「リアルなペインティングがそもそも出来ない」というむずかしさと、「対象物がきわめて小さい」という二重のむずかしさがあるのですから。
いったい画家は、どうやってリアルな人物を描いているのでしょう。
見ただけで上手になるわけではありませんが、知ることもひとつの道ではないかと・・・。
多くの人にとって肖像画を描く機会は、ほとんど学生時代に限られますが、小学生のときには子どもらしい勢いのある絵が評価され、自由に描かせることが主眼で、写真のように正確に写し取る訓練はなされなかった(すくなくともわたしは)と思います。
中学、高校でも、デッサンには正確性が要求されますが、ペインティングにおいてはリアリティある描き方の教えはなかったように思います。
そうやって大きくなった大人が、ここにきて突然、1/35フィギュアをリアリティある人間のように塗ることが出来るでしょうか?
どう考えても、それはむずかしいですよね。
「リアルなペインティングがそもそも出来ない」というむずかしさと、「対象物がきわめて小さい」という二重のむずかしさがあるのですから。
いったい画家は、どうやってリアルな人物を描いているのでしょう。
見ただけで上手になるわけではありませんが、知ることもひとつの道ではないかと・・・。


展示会には実験的な作品を持ち込むように意識しています。
「会場の中で、それらの作品がどのように見えるのか」を試すためです。
昨年の九州AFVの会では、コントラストをMAXに高めた作品として
パンサーを持ち込みました。
たまたまAM誌でも展示会の紹介のページで取りあげられていましたが、雑誌の小さな写真の中では白く写っているのは光の反射によるものだと思われた方もいるかもしれません。
でも実際は「ほとんど白〜ほとんど黒」までの明暗をひとつの作品の中に取り入れた実験だったのです。
面で構成されているパンサーの車体は実験に好適でした。
上面側はすべてハイライト。
斜めの面だけを固有色と規定しました。

角度によって面をグループ化し、きちんと塗り分ければ違和感は生じないとわかりました。
たとえば、ジオラマ全体に同様の処理を施しても大丈夫なのではないでしょうか。
背面側は、ほとんど黒になっています。

「もともと立体である模型に光と影をどれだけ取り入れるのか?」
この疑問に対する答えを探し続けています。
「会場の中で、それらの作品がどのように見えるのか」を試すためです。
昨年の九州AFVの会では、コントラストをMAXに高めた作品として
パンサーを持ち込みました。
たまたまAM誌でも展示会の紹介のページで取りあげられていましたが、雑誌の小さな写真の中では白く写っているのは光の反射によるものだと思われた方もいるかもしれません。
でも実際は「ほとんど白〜ほとんど黒」までの明暗をひとつの作品の中に取り入れた実験だったのです。
面で構成されているパンサーの車体は実験に好適でした。
上面側はすべてハイライト。
斜めの面だけを固有色と規定しました。

角度によって面をグループ化し、きちんと塗り分ければ違和感は生じないとわかりました。
たとえば、ジオラマ全体に同様の処理を施しても大丈夫なのではないでしょうか。
背面側は、ほとんど黒になっています。

「もともと立体である模型に光と影をどれだけ取り入れるのか?」
この疑問に対する答えを探し続けています。

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