
数カ所の工作的修正をいれて、およそ完成に近付きつつある九四式六輪自動貨車。
どこに向かい、何を目指したのか、はっきりと自覚していたわけでもなく、ただ、「こうしたら面白いんじゃないか」というひらめきによる感覚的な対処で進めてきました。
結果は意外と満足しています。

『一方で、自分と異なるシステムを把握し、それの中で自己をコントロールできる能力を養い、それを通じてより一般性の高い「知性」を養うことは、可能な限り多くの人間が身につけるべき「高等な」能力である。
もちろん、小学校で教わる「読み・書き・そろばん」だけでも人間は最低限の文化的生活ができるが、多くの情報の中から必要なものを合理的に取捨選択し、自分、そして社会の利益のためにそれを活用するためには、「抽象化」を含む高等な能力があることが望ましい。
これはすべての人間に当てはまる。
要は、どう生きるにせよ、賢い方がいいのだ。
賢さは、その意味で普遍的な能力である。
正規教育で扱うべきはそういう「普遍性ある能力」であって、末端の現実的な技術はそれぞれ個人がその性向と才能に基づいて選択すれば十分である。
特に、民主主義社会では、抽象化を含む知的能力は理念的に極めて重要である。
書生論という向きもあろうが、原理に立ち返ってしっかり考えてもらいたい。
民主政治は、統治権を国民の手に委ねる政治形態である。
少数の人間の意志だけで政策が決定できる専制政治や絶対主義に比べれば、民主主義は極めて不効率だ。
かの英国首相Winston Churchilはこう言っている。
「民主主義は最悪の政治制度だ。これまでにあったすべての政治制度を除けばだが」。
だが、国民のコンセンサスを得て物事を前に進めることが、統治主体でありかつ統治される側でもある国民の最大幸福につながるというのが、民主主義の理念である。
ただし、それにはひとつ重大な前提条件がある。
それは、決定権を持つ国民が決定されようとしている事項を正しく把握し、それに対して単なる感情や利害関係を超えて、冷静な判断力に基づいて意志を決定できる、ということである。
これが成り立たない限り、民主主義は仏作って魂入れずの状態になる。
そして、この時に必要な物事を正しく把握する能力、そして冷静で客観的な判断を下す能力を住民に得てもらうべく行なわれているのが学校教育なのだ。
この「把握し、客観的に判断する」のに最も必要な能力が抽象化であることは言うまでもない。
だから、大げさなことを言えば、民主主義の理念と精神を実現する一手段として、「英語」という科目があるといっても過言ではないのだ。』
『キミは何のために勉強するのか 試験勉強という名の知的冒険2』富田一彦著 大和書房(2012)より
どこに向かい、何を目指したのか、はっきりと自覚していたわけでもなく、ただ、「こうしたら面白いんじゃないか」というひらめきによる感覚的な対処で進めてきました。
結果は意外と満足しています。

『一方で、自分と異なるシステムを把握し、それの中で自己をコントロールできる能力を養い、それを通じてより一般性の高い「知性」を養うことは、可能な限り多くの人間が身につけるべき「高等な」能力である。
もちろん、小学校で教わる「読み・書き・そろばん」だけでも人間は最低限の文化的生活ができるが、多くの情報の中から必要なものを合理的に取捨選択し、自分、そして社会の利益のためにそれを活用するためには、「抽象化」を含む高等な能力があることが望ましい。
これはすべての人間に当てはまる。
要は、どう生きるにせよ、賢い方がいいのだ。
賢さは、その意味で普遍的な能力である。
正規教育で扱うべきはそういう「普遍性ある能力」であって、末端の現実的な技術はそれぞれ個人がその性向と才能に基づいて選択すれば十分である。
特に、民主主義社会では、抽象化を含む知的能力は理念的に極めて重要である。
書生論という向きもあろうが、原理に立ち返ってしっかり考えてもらいたい。
民主政治は、統治権を国民の手に委ねる政治形態である。
少数の人間の意志だけで政策が決定できる専制政治や絶対主義に比べれば、民主主義は極めて不効率だ。
かの英国首相Winston Churchilはこう言っている。
「民主主義は最悪の政治制度だ。これまでにあったすべての政治制度を除けばだが」。
だが、国民のコンセンサスを得て物事を前に進めることが、統治主体でありかつ統治される側でもある国民の最大幸福につながるというのが、民主主義の理念である。
ただし、それにはひとつ重大な前提条件がある。
それは、決定権を持つ国民が決定されようとしている事項を正しく把握し、それに対して単なる感情や利害関係を超えて、冷静な判断力に基づいて意志を決定できる、ということである。
これが成り立たない限り、民主主義は仏作って魂入れずの状態になる。
そして、この時に必要な物事を正しく把握する能力、そして冷静で客観的な判断を下す能力を住民に得てもらうべく行なわれているのが学校教育なのだ。
この「把握し、客観的に判断する」のに最も必要な能力が抽象化であることは言うまでもない。
だから、大げさなことを言えば、民主主義の理念と精神を実現する一手段として、「英語」という科目があるといっても過言ではないのだ。』
『キミは何のために勉強するのか 試験勉強という名の知的冒険2』富田一彦著 大和書房(2012)より
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偶然に、ハッとするような表現に出会うことがあります。
汚くしているのになんとなく惹かれてしまう表現。
おそらく色の組み合わせが良かったのでしょう。
オレンジとブルーがかったグレイの組み合わせがとてもマッチしています。
背景がブルーのため写真ではイマイチ
してみると、すべての汚しでカラーコーディネイトし、
不協和を起こさない色の組み合わせ、さらには美しささえ演出するコンビネーションを取り入れれば
格段にセンスアップした作品に仕上がるのではないでしょうか。
これで「模型道を極めるためにカラーコーディネイターの資格もとりました」って言えれば誰だってホンモノだ!と思ってもらえるでしょうね。
ヒストリカルフィギュアのペインティングなどカラーコーディネイトのセンスがよりダイレクトに問われるように思います。
汚くしているのになんとなく惹かれてしまう表現。
おそらく色の組み合わせが良かったのでしょう。
オレンジとブルーがかったグレイの組み合わせがとてもマッチしています。

してみると、すべての汚しでカラーコーディネイトし、
不協和を起こさない色の組み合わせ、さらには美しささえ演出するコンビネーションを取り入れれば
格段にセンスアップした作品に仕上がるのではないでしょうか。
これで「模型道を極めるためにカラーコーディネイターの資格もとりました」って言えれば誰だってホンモノだ!と思ってもらえるでしょうね。
ヒストリカルフィギュアのペインティングなどカラーコーディネイトのセンスがよりダイレクトに問われるように思います。









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