戦車模型 AFV fun
それは男の憧れる力の象徴。無敵の装甲は、びくともしない不動心へのあこがれ。鋼鉄のキャタピラは信念を曲げず困難を乗り越え突き進む哲学の具現。        
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レビューの成り立つ土壌
レヴュー
小山登美夫著『現代アートビジネス』アスキー新書のなかに
以下のような文章があります。
ちょっと長いですが引用します。

『 映画『プラダを着た悪魔』をご覧になりましたか。はなはだ唐突かもしれませんが、アートが社会とむすびついていくためには、メディアが堅実に機能していることが大切です。
この物語にアートを取りまく日本のメディアの問題点が隠されています。
映画では、メリル・ストリープ演じるファッション界のドン、カリスマ編集長の一言一言が業界全体を揺るがします。
彼女がパリ、ミラノ、ニューヨークのコレクションを見て、その後半年間の雑誌の方向性を決めます。
「今年のコレクションはマーク・ジェイコブズがよかった」だの、「トレンドはどんなだ」とか、彼女の判断一つです。
映画ですから誇張はあるにせよ、ファッション雑誌の編集長が、あれほどまでに絶大な影響力を持ち、横暴なまでの立ち居振る舞いが許される、その理由は何だと思いますか?
答えは簡単です。
ファッション雑誌が「レビュー=批評」だからです。
ファッション雑誌は、レビューで成り立っているがゆえに、超一流の「批評性」を獲得したメディアです。
だからこそ、「プラダを着た悪魔」は、権力を持ち、高給を手にして、ヒールの音を轟かせて業界を闊歩することができるわけです。
当然、有力ファッション誌の動向は、来シーズンのコレクションにも影響を与えますし、
デザイナーたちをおおいに刺激します。
イメージ戦略はブランドにとって死活問題ですから、ファッションブランドの方も必死なのです。
こうしたマーケットの循環と価値の蓄積が、ファッションを巨大産業へと育てていきました。
ところが、同じ雑誌の世界でも、日本の雑誌で美術展の「レビュー」が掲載されることはあるでしょうか?
展覧会の事前告知のようなプレビューはあっても、展覧会を見た後に書かれるレビューはほとんどありません。
日本のメディアにはアート批評が成り立っていないといっても言い過ぎではないでしょう。
たとえば、「来月、パリコレがありますよ」という予告記事があっても、読者は誰も飛びつきません。
知りたいのは、どのブランドがどんな服を発表し、全体としてどんなトレンドに向かっているか、その評価=判断であって、予告では意味がないのです。
アートレビューも、本来は同じはずです。
もちろん、ギャラリストとしては展覧会の集客も大切ですからプレビューも必要ですが、
それだけではアートマーケットに影響を与え、ひいては業界を活性化させる批評が育ちません。
アメリカには、『アートフォーラム』『アート・イン・アメリカ』『フラッシュアート』などの美術専門誌も数多くありますし、新聞に掲載されるレビューも、
業界関係者なら必読です。
批評の文化が定着しているのです。
ロバータ・スミスという女性の評論家は、かれこれ20年も『ニューヨークタイムズ』にアート評を寄稿していますが、それこそ絶大な影響力を持っています。
特にアメリカでは、批評にプロテスタンティズムのような「高潔さ」が求められて、非常に判断が公平で信頼できます。
その信頼できる評価が、アーティストや作品を価値付け、マーケットの動向も左右します。
「いい/悪い」評価が影響を与えるマーケットというのは、ある意味、とても健全だと言えるのではないでしょうか。
そのメディアや批評家に取り上げられたり、高い評価を受けたりすることが、よい意味で権威付けになる。
日本でもそんな信頼できる公平な批評が育たなければ、マーケットの循環と価値の蓄積が成り立たないのです。』



一人の人間が価値付けをするような世界は
もはやウエブ時代にそぐわない古い因習の世界だと
思わないでもありませんが、
公正で的確な批評の成り立つ土壌というものにはあこがれます。
ボロクソにけなされても、それがまっとうな評価であれば
向上心のある人間であれば受け入れるはずです。
広告主の製品をけなすことはむずかしい雑誌ジャーナリズムでも
モデラーや業界の成長を真に願う展望を持つならば
厳しい愛情をもって、個人の作品を批評することは、これまでも出来たはずです。
もちろん、これからでも出来ると思います。
言いたい放題言う厳しいガミガミ親父キャラクターを作ったりして
緩衝剤にしたらダメです。
それでは発言に責任がなくなります。
実名で責任ある発言の批評をすることは、かなりの心理的負担になることでもあり自分に厳しい姿勢が必要です。

何が判断基準なのかよくわからないコンテストのように
モデラーに何を目指すのかの指針をぼかしたままのぬるま湯的状況になんとなく苛立ちを感じる人もいるかもしれませんから。




東北地方太平洋沖地震復興応援プロジェクト
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テーマ:模型・プラモデル・フィギュア製作日記 - ジャンル:趣味・実用

コメント
この記事へのコメント
えー、これも・・・・
実は、思う所沢山あります。
宮崎さんの前で、エエカッコしても仕方ないので正直言いますけど、

「私は実は『批評家』です、それもかなり意地の悪い。」

自分の作品を作る時にどうyしても他人の作品を観察して、その手間や方法論、テクニックを分析してしまうし、当人が意識しているかどうかは別にして、その目指す方向みたいなものまで推察してしまいますから・・・。

んで、ブログという不特定多数閲覧の可能性がある場合、

「どうしても、悪い人に見られたくない」

という心理が働いて、その批評内容は内面に留めてしまいますねえ・・・。

自分に対する批評ぐらいですかねえ、大丈夫なのは・・・。

やっぱり、「日本人」ですね、私も(笑)

批評をするという事は、その批評も批評にに晒される覚悟がいる。
製作者が批評をした場合、本来、筋違いではあっても、その製作者の作品までもその再批評の中にからめとられてしまう、それが怖いんでしょうね。
他の人がどうなのかは分かりませんが、私の場合はそうです。
2011/08/19 (金) 11:56:06 | URL | しげしげ #-[ 編集]
しげしげさんへ
こんにちは、返事が遅れてしまいました。

しげしげさんの分析力はすばらしいといつも感じています。
潜在意識に沈んで、作者でさえ言語化できていない部分を的確に拾い上げることの出来る希有な存在です。
豊富な実践経験や知識があるからこそ見える世界ってありますからね。

わたしも以前は見えなかったものが、このごろでは手に取るように見えるようになりました。
どうやって塗ったのかわからないものは、ほとんど存在しません(うそです)。

はずしていない批評ならばみんなの支持を得るはずです。

はずさない批評を書くためには、不断の勉強が必要になりますね。


2011/08/21 (日) 10:15:58 | URL | 宮崎一誠 #-[ 編集]
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