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戦車模型 AFV fun
それは男の憧れる力の象徴。無敵の装甲は、びくともしない不動心へのあこがれ。鋼鉄のキャタピラは信念を曲げず困難を乗り越え突き進む哲学の具現。        
履帯の塗装と取り付け
『 フィアットは、一八九九年にジョバンニ・アニエッリ・ブリケラシオ伯爵とカルロ・ビスカレッティ・ディ・ルフィア伯爵によって創立されたイタリア・トリノ自動車工場(フィアット)で、一九〇七年に組織改革を行いアニエッリ一族の同族経営会社となりフィアットSPAと社名を変更していた。
この社名変更は、単なる自動車工場から軍事産業を中心とした複合企業への拡大を意味していた。
 フィアットには小規模ながらレーシング・チームが組織されており、ドイツのメルセデス、フランスのプジョー、バロー、そしてアメリカの新興デューセンバーグが参加する国際レースへ打って出る準備をしていた。
フィアットの自動車技術をイタリア人が誇りとするのは、この時代に自動車技術を徹底的に解析し科学的な理論を創造したからだという。
たしかに二十世紀初頭にフィアットはスピードと耐久性を科学技術として獲得し、世界の自動車技術をリードしていた。
 「フィアットは何かをコピーしたのではなく、自ら創造し、他者に教えたのだ」とイタリアの自動車関係者は今もプライドをもって話す。』


ブロック・イェイツ著 桜井淑敏訳 『エンツォ・フェラーリ F1の帝王と呼ばれた男』集英社(1991)より


セモベンテキャタ塗り

『フィアットには絶望させられた、とエンツォ・フェラーリは回想録に書いている。
「私はよろめくようにフィアット本社を出た。
冬の薄暗い黄昏時だった。
混雑した通りをさまよい歩き、ポー川の岸のバレンチノ公園のベンチにたどりついた。
大きなカステロ・デル・バレンチノ像がすぐそばにあった。
ベンチの雪をはらいのけて腰をおろした。
私はひとりぼっちだった。
父も兄もいなかった。
孤独と失望で涙を流した」
フィアットから無視されたと思い込んだエンツォ・フェラーリは、深い失望感を味わった。
それは心の傷となって、時々うずいた。
やがて怒りとなった。
何年かかろうが、アニエッリとフィアットの腰巾着連中を見返してやろうとエンツォ・フェラーリは心に誓った。』

前掲書より



さて、
セモベンテは組み付けた履帯を取り外し塗装して再び組み付けました。

言葉にすれば1行で事足りてしまうわけですが・・・・


塗装前の履帯組み付け時においては、取り外すことを考慮し
できるだけスプロケットのところで分割するよう努力します。
しかしスプロケットとの勘合が悪かったりすると、とりあえずはきっちり組み付けることが最優先されることもままあるのです。
塗装のために取り外すときは、接着剤を無力化するために
接着部分にエナメル溶剤を細筆にて流し込む攻撃を数次にわたって連続しておこないます。
時間を置けばやがてその部分がもろくなりますので分割が可能になります。
塗装については今回は割愛いたします。
塗装完了後、
「さあ!組み付けよう!」
となるのですが、複数のキットを同時進行している場合などには、よく左右の区別がわからなくなったりします(アホ)。
左右の転輪配置やアイドラーの位置はほとんど同じながらも微妙にちがうので正しく元通りに取付けることは重要です。
さらに履帯のウエザリングに使う塗料が影響するのか(??)、元通りに組み付けても元通りにはまらないこともよくあります。
長かったり短かったりリターンローラーと履帯の波山が合わなかったりするのです(む、む)。
これらの問題をすったもんだしながら解消し、接着剤を入れながら、クリップ、洗濯バサミ、万力、輪ゴム、おもり、などを駆使しながら数日かけて部分的な接着と形状の修正を段階的におこない、適切な形態に整えていきました(ぜえぜえ)。

テーマ:模型・プラモデル - ジャンル:趣味・実用

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