戦車模型 AFV fun
それは男の憧れる力の象徴。無敵の装甲は、びくともしない不動心へのあこがれ。鋼鉄のキャタピラは信念を曲げず困難を乗り越え突き進む哲学の具現。        
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荒く塗ってしまう理由(わけ)
運転室後部に位置するアンテナを作りました。
うすうす攻撃&ハリガネに変更。
0000アンテナ
さて、工作は終盤の細々した部分に入ると途端に進みがのろくなってしまうのですが、塗装についての考察をひとつしたいと思います。
このD9Rだと、ベース塗装をエアブラシでおこない、溶剤で薄めた差し色をぼかして投入しているため、荒さがけっこう目立ちにくくなっています。
しかしながら、ここ最近の塗り方の例に漏れず、筆を使う工程ではそれなりに乱暴で豪快な塗り方をしています。
(目が慣れるまで、わかりにくいかもしれませんが、シナイグレイで塗られた面のあちこちにさまざまな色がちりばめられています)
先に完成したノイバウでは、
「色を置いて行くという過程がちと大雑把」
であるという指摘も受けました。
自分でもその通りだと思います。

ところがです。
いつの頃からか、丁寧に技芸の究極をめざすような真面目な塗り方ができなくなってしまったのです。
正しく言えば、そういう塗り方が面白くなくなってしまったということです。
0000幽玄
なんと言いますか、自分でもヒヤヒヤするくらいに大胆にどかどかと色を置いていったり、速いスピードで豪快にバシャバシャと塗ったり、そういうことをするなかで未知の効果、偶然の巧妙に出逢う面白さに憑かれてしまったとでも言いましょうか。
塗り絵的な塗装の堅苦しさに息がつまり興味が持てないと言いましょうか。
考えもしなかった奇抜な色を投入してみたら、思いがけずすばらしい効果が得られたりする博打のような喜びを求めるようになってしまったりと、もともとの神経質で細かい性格をくつがえすかのように豪放でケセラセラな振る舞いを模型上で展開しているのです。

一方でこの仕上がりのままでは解像感が低く、いかにも塗りました的で、リアリティに欠けるという問題も生じました。
肉眼での目視はなかなかの完成度だと思えても、デジカメで拡大すると幼児が塗ったかのように無様です。
この矛盾に関してはしばらく悩むことになりそうです。

とはいえ、
縮こまってしまいそうな、あるいは保守的な枠に収まって以前と同じことを繰り返してしまいそうな自分の心を解き放ってダイナミックに大胆に色を置くということの面白さからはとうぶん、抜け出ることは難しそうなのです。

そしてそれはマシーネンモデラーなどが、ラッカー塗料の上からラッカー塗料を重ね塗りし「泣かす」という技法に面白さを見出していることと同種の趣向なのだろうと想像します。


先日読んだ、椹木野衣さんの『反アート入門』(2010幻冬舎)のなかに、これまで述べたことに通ずるような言葉がありました。

『 水墨画を水墨画たらしめている滲みやぼかしのグラデーションは、しかし考えてみれば、まさしく「現象」であって、どんなに訓練しても制御し切れない自然を備えています。
だからこそ無限なのですが、これらの現象は作り手の思惑を超えて、画面に不測の事態や偶然の効果をもたらします。
 西洋の油絵はどうでしょうか。
まったく反対に、それは作り手の意図を超えた領域を最小限にするために開発された「技術」です。
技術であるかぎり、それは自然と対立します。
時の移ろいを画面に永遠化するためには、人為の思惑に素直に従ってくれない「滲み」や「ぼかし」は、画面のなかで起こってはならない、不気味な自然現象の一種なのです。
 ところが水墨画の世界では、むしろ人為を超えた領域を進んで画面に現象させ、作り手も見る者もそれをまるごと受け入れ、楽しむことがよしとされてきました。
このようなものは、西洋的な観点からすれば絵画ではありえません。
でも、少なくともそれは絵ではあるのです。
けれども、向かっている方向は、最初からぜんぜんちがっています。
(中略)
欧米のアートが感覚に訴えかける要素を削り落とすのは、うつろいやすい物質によってかたちづくられざるをえない(故に不確定さをはらむ)芸術作品を、その恣意性からいかに守るかということに向けられています。
そのためには、むしろ自然から遠く離れて確定的な要素だけで構成することで、一個の作品が可能なかぎり原因と結果について一致することを望んでいるのです。
 これに対して東洋の水墨画・禅画は、まったく反対の立場です。
材料となる墨や水や紙が自然から作られたものであるかぎり、それも結局は自然との絆のもとにある、ゆえに避け難く多くの偶然をはらんでいる、と言うのです。
彼らはそのことを否定しません。
むしろ、人の手はそこからより豊かな不確定性を引き出すための触媒にすぎないのです。』

後段は「工(わざ)」よりも「趣(おもむき)」をというタイトルがつけられた節からの抜粋です。
知らず知らずのうちに、工よりも趣を求める心情になっていたのかもしれません。

テーマ:模型・プラモデル - ジャンル:趣味・実用

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